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横浜地方裁判所 昭和40年(ヨ)532号 決定 1965年11月26日

申請人 向井磯喜 外一名

被申請人 日本クリーナー株式会社

主文

申請人等の本件申請をいずれも却下する。

申請費用は申請人等の負担とする。

理由

第一、申請人等の求める裁判

申請人等代理人は「被申請人は、昭和四〇年六月六日以降本案判決確定に至るまで毎月二五日限り、申請人向井に対し一箇月金四三、〇五五円の、申請人宮原に対し一箇月金二二、三六五円の各割合による金員を仮りに支払え。申請費用は被申請人の負担とする」との裁判を求めた。

第二、当裁判所の判断

当事者間に争いない事実および双方提出の疎明資料により認定した事実関係ならびにこれに基づく判断は次のとおりである。

一、当事者間に争いない事実

被申請人は電気掃除機等の製造販売を業とする株式会社であり、申請人向井、同宮原はいずれも被申請会社に雇傭されている従業員であつて、且つ被申請会社の一部従業員をもつて組織されている全国金属労働組合神奈川地方本部日本クリーナー支部なる労働組合の組合員で、申請人向井はその執行委員長であるところ、申請人両名はいずれも昭和四〇年五月一九日威力業務妨害、傷害の被疑事実により逮捕、引続き勾留されたうえ、同二九日横浜地方裁判所に威力業務妨害、傷害被告事件として起訴され(その公訴事実および罪名、罰条等は別紙記載のとおり)、該被告事件は現に同裁判所に係属中であるが、申請人両名の身柄は同年六月一日保釈許可決定により釈放された。そして被申請会社は申請人両名に対しいずれも同年六月五日付内容証明郵便をもつて、申請人両名にかかる右拘禁、訴追の事実が被申請会社就業規則第三五条第三号に該当するものとして、右訴追期間中の休職を命じ、併せて当該期間中賃金を支払わない旨および会社工場、作業場、事務所等の施設に立入つて作業することを禁止する旨通告し、右郵便はその頃申請人両名に到達した。

二、休職の効力

(一)  本件各休職処分事由の有無および公序良俗違反の成否

被申請会社就業規則第三五条は、休職をなす場合の基準およびその期間を定めていて、その第三号には休職事由として「法令により拘禁又は訴追された時」と規定されているところ、申請人等は右条項は従業員が法令による拘禁のため労務の提供が事実上不能な場合にのみ限定適用さるべき旨主張して、申請人両名の身柄が前記のように既に保釈により釈放され、労務の提供が可能となつた後になされた本件各休職処分はその理由を欠き無効である旨争うが、然し右条項は、その文詞自体に徴しても、拘禁により従業員を就労させることが事実上不能である場合にのみ限定して適用さるべきものではなく、仮令従業員に就労させることが可能であつても、刑事事件に関し起訴され、すなわちその犯罪の嫌疑も当初における捜査機関の単なる主観的な域を超える客観的なものがあるとして公訴の提起があつた場合その公訴事実の内容如何によつては、審理に応ずる当該従業員に相当な精神的および物質的負担を与えることは疑がなく、これがためその職務遂行に直接、間接の支障を来たすおそれがあるし、職場の秩序維持や被申請会社に対する社会の信用にも好ましくない影響を及ぼすことが十分予想され、引続き就労させることが適当でないと認め得られるものがあるから、起訴自体により当該従業員を休職させる旨の規定に合理性を欠くわけがなく、この規定を適用して就労禁止の措置に出ることは休職処分の目的、性格に照らし何ら悖るところはない。もとより申請人等のいうように、刑事裁判における被告人は有罪判決の宣告があるまで無罪の推定を受けるものではあるが、右は刑事裁判における人権保障の思想の一つとして形成された原理であつて、刑事訴訟手続上にあまねく妥当する原理であるけれども、未だ一般社会生活関係の面においてまで例外を認めない程の原則となつているものとも認め難いし、また休職処分は一つの不利益処分ではあつても、後に述べるように懲戒処分における停職処分乃至出勤停止処分とは異なり、如何なる意味においても該処分事由に関し該処分に付せられた従業員を非難するという意味を含むものでないことに思いを致せば、訴追をもつて休職処分事由とした前記条項を違法無効のものとするにあたらない。そして申請人両名が前記のように訴追され、その公訴事実は別紙記載のとおりであつて、右公訴事実の内容をも斟酌すると、右訴追の事実につき前記条項を適用して申請人両名を休職処分に付したことは、規定本来の目的に合致し社会一般の通念に照らしても当然至当の措置として容認されるところであつて、決して非難されるべきものでないから、前記身柄釈放の事実は本件各休職処分の有効性に影響を及ぼさず、また申請人等主張のように公序良俗に反する無効なものということもできない。

(二)  不当労働行為の成否

申請人向井は昭和三〇年四月前記労組(第一組合)の結成以来、その中心となつて活溌な組合活動を続けてきたもので、現にその執行委員長の地位にあり、申請人宮原もその組合員であつて、昭和四〇年春季斗争に際しては、申請人両名ともに、賃上げ等を要求する右組合の中心となつて活溌に右斗争を指導したものであること、これより先昭和三八年被申請会社では、ともすれば会社に対立して活溌な組合活動を行う第一組合に批判的な一部従業員をもつて組織する日本クリーナー労働組合(第二組合)が結成されたが、会社電気技術課長川田輝明ら二、三の会社幹部の者は第一組合に所属する組合員十数名に対し第一組合には共産党員が相当数加入しており会社のためにもならない等と言つて脱退を働きかけ或いは第二組合への加入を画策する等したことが認められ、そして会社においても第一組合の存在やその中軸的な立場にあり積極的な組合活動家である申請人等に対し快く思つていなかつたことは推認するに難くないところであるけれども、かような事情を考慮に入れても、被申請人が申請人両名を休職処分に付したのは前記訴追の事実を決定的理由としたものと認めるのが相当であつて、右処分が前記訴追の事実に藉口したに止まり、その真意は組合活動を嫌悪し、組合の団結阻害を目的としたものと認めるには足りない。

(三)  賃金請求権の有無

そこで進んで、以上の如き適法な休職処分による休職期間中の賃金請求権の有無について検討するのに、この点に関する被申請会社就業規則には、特に休職期間中の賃金の支給について定めた規定はなく、その他これについて特別の合意あることの疎明もない。ところで元来労働(雇傭)契約は有償双務、諾成契約たる性質をもつものであるから、特に異なる合意がない以上、契約(合意)と同時に労働者はいわゆる基本債権としての賃金債権を取得するものであるが、然し具体的な賃金請求権は労務に服することによつて始めて生ずるものであり、ただ使用者の就労拒否(受領拒絶)によつて就労不能が招来された場合においては、それが使用者の責に帰すべきものであり従つてまた労働者の責に帰すべからざる場合においてのみ、民法第五三六条第二項の規定に従い、なお賃金請求権を失わないものと解される。この観点に立つて休職処分についてみるのに、休職処分も一つの就労を拒絶禁止する処分ではあるけれども、懲戒としての停職処分や出勤停止処分のように従業員の責に帰すべき違法行為を原因としてその責任追究のためになされるものではなく寧ろかかる違法性乃至責任性という価値評価を捨象しその限りにおいては没価値的な事実に基づき、従業員をして就労させることが不能であるか若しくは適当でない場合に、その事故の期間一時的に、当該従業員に対し従業員たる地位を現存のまま保有させながら就労を禁止する処分であるから、従業員としては該処分によつてその期間中労務を提供しなくとも、その責を従業員に帰することはできず、従つて右不提供による債務不履行の責任を負担しないという意味においては、休職処分は一面従業員に対し労務の提供義務を免れさせるものであるけれども、また他方使用者がかかる処分に出ることによつて従業員の就労を拒絶禁止することが正当なものと社会通念に照らし認め得る場合においては、使用者は民法第五三六条第二項の責を負わないものと解するほかはなく、したがつて従業員において労務に服しない以上、労働(雇用)契約の本質により従業員は使用者に対し賃金請求権を取得しないものといわねばならない。これを本件についてみるのに、申請人両名には前記就業規則所定の休職事由該当の事実が存し、そして該事実について被申請会社が前記休職規定を適用して申請人両名を休職処分に付したことは、社会一般の通念に照らしても容認され、正当適法なものであることは先に述べたとおりであるから、被申請会社にかかる処分に出でたことについて不利益をうける責任はなく、従つてかかる場合においてもなお賃金を支払う旨の恩恵的な特別の定めのない本件においては、被申請人は申請人両名に対し休職期間中賃金支払義務を負担しないというべきである。

三、結論

以上の次第によつて申請人両名の本件仮処分申請はいずれもその被保全権利について疎明がないことに帰し、また保証を立てさせて本件仮処分を命ずることも相当でないから、本件仮処分申請はいずれもこれを却下することとし、申請費用の負担につき民事訴訟法第八九条を適用して主文のとおり決定する。

(裁判官 森文治 田辺康次 門田多喜子)

(別紙省略)

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